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小原 裕貴(こはら ゆうき、1980年5月21日 - )は、元ジャニーズ事務所所属タレント。元ジャニーズJr.。神奈川県出身。私立公文国際学園中等部・高等部卒業、亜細亜大学卒業。芸能界引退後は、大手広告代理店博報堂に勤務。 ==来歴== *1991年1月25日、当時10歳(小学4年)の時、親戚の女性がジャニーズ事務所へ履歴書を送ったことが契機となり同事務所に入所。同期は国分博。 *集英社発行のアイドル雑誌「Myojo」で、1995年から現在まで毎年一回行われているファン投票の集計によるランキング企画「みんなが選ぶジュニア大賞」で、事実上の人気を表す「恋人にしたいJr.」部門を1996年・1997年連続で第一位に輝く。(この部門の連覇達成者は現在までに小原と山下智久、赤西仁、岩橋玄樹の4名のみである。) *「一番美形なJr.」部門では1995年から五年連続一位に選ばれる。 *1997年頃から楽器や音楽が趣味になり、櫻井翔、大野智、今井翼、川野直輝とプライベートで「ZEUS」というバンドを組んでいた。小原はベースを担当。 *「ぼくらの勇気 未満都市」の撮影の合間に堂本剛からギターを教わり、後にKinKi Kidsのコンサートでセッションを行った。 *1998年、テレビ番組「8時だJ」の企画で、ホノルルハーフマラソン(4月8日放送)、一万メートル走(7月22日放送)、第20回ゴールドコーストマラソン(国際フルマラソン大会、8月5日放送)に挑戦し、全て完走した。 *2000年9月3日、当時20歳(大学2年)の時、ジャニーズJr.三大ドームツアー初日の大阪ドームにてコンサート公演中に、学業に専念する為、ジャニーズJr.を卒業することを突然発表した。 *同月24日、レギュラー出演ドラマ「サイコメトラーEIJI」シリーズ完結作の2時間SPが放送。 *同月30日、レギュラー出演ドラマ「七人のサムライ J家の反乱」最終回が放送。 *2000年10月15日、ツアー最終日の東京ドーム公演を以てジャニーズJr.を卒業。なお、このコンサートの模様はセルビデオ「素顔3」に一部収録されている。 *卒業発表・卒業公演についてスポーツ新聞や芸能ニュースでも報じられた。 *1994年頃からほぼ毎号グラビアとインタビューが掲載され何度も表紙を飾ったことがある主要なアイドル雑誌(「MYOJO」「Duet」「WINK UP」「POTATO」等)は2000年12月号が最後の登場となった。各誌とも、ファンへの挨拶や卒業について詳細に語ったインタビューなどが掲載されている。 *ジャニーズ事務所がジャニーズJr.メンバーの退所について公式に発表し、卒業セレモニーが行われた事例は小原のみである〔ジャニーズ事務所は不祥事による解雇・退所以外は、基本的にジャニーズJr.メンバーの去就を発表しない。〕。 *大学卒業後、大手広告代理店博報堂に就職。就職に関しては、日本や台湾〔ジャニーズのアジア進出に伴い、出演作が現地で放送・日本のアイドル雑誌が翻訳出版・アジアツアーのメンバーに選出されるなどして認知度が上がり、特に台湾で人気があった。〕のスポーツ新聞のほか、「週刊女性」の2003年1月28日号、2004年6月1日号などで記事になった。 *2010年10月15日放送の『A-Studio』にて、二宮和也の友人として番組からの取材を受けた様子が放送された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小原裕貴 (元タレント)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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